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住吉大社・住吉公園特集

住吉大社

初詣といえば「すみよっさん」と大阪の人は口をそろえて言います。大晦日の夜から、どこからとなもく人が集まりだし、門前は人々でいっぱいになります。12時ちょうどになり太鼓が打ち鳴らされると、1年の幸を祈願する人でごったがえします。三が日の参拝客数は、毎年200万人を超え、大阪の人に今でも愛され続けています。
住吉大社は、昔から20年ごとに本殿を新しく建て替える遷宮を行っています。古く由緒のある神社、たとえば伊勢神宮や香取・鹿島・賀茂社などでも同様に、数十年単位で御本殿を新築していくことが伝統でした。近世に入ると、住吉大社では本殿の修繕・改修とともに、お祭を行うようになりました。
本殿の改修では、特に丹塗りや桧皮葺が重要で、ヒノキの樹皮を加工した桧皮 (ひはだ) で屋根を葺きます。

御本殿

現在ある本殿は全て1810年(文化7年)に造られました。第一本宮から第四本宮にいたる4棟からなっており、神社建築史上最古の様式の一つで、国宝建造物に指定されています。いずれの建物も造りと大きさは同じです。
第一本宮~第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶ縦並びの配置は、全国的にもたいへん珍しく、住吉大社だけの建築配置です。あたかも大海原をゆく船団のように立ちならび、「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言い伝えられます。

御田植え

稲作の始まりとともに、田んぼの神さまを祭る田植え行事は全国各地で行われています。
なかでも、住吉では儀式を略することなく、当時と同じ格式を守り、華やかで盛大に行っている祭りとして、重要無形民俗文化財に指定されています。
御田植えの由来は、神功皇后が田んぼを設け、御田を作らせたのが始まりだといわれています。
母なる大地に植付される苗には、強力な穀霊が宿るものとして考えられていました。
田植えに際して音楽を奏で、歌をうたい踊りや舞を演じるのは、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やすためです。
穀物が豊かに育ち、稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式として、今でもおごそかに行なわれています。

五所御前

第一本宮と若宮八幡宮との間にある、杉樹が石の玉垣の内に立っている場所です。
むかし、神功皇后が住吉大神をお祭りするための土地を求められたとき、この杉の木に白サギが3羽きて止まったので、ここへお祭りしたと伝わる聖地です。別名を「高天原 (たかまがはら) 」ともいい、神霊をおむかえするミアレ所でもあります。
毎年5月の住吉大社創立記念の祭、卯之葉神事では、卯の葉の玉串がささげられます。

石の玉垣のなかにある砂利には「五・大・力」と書かれた小石があり、これを集めてお守りにすると心願成就にきくとされます。

住吉公園

明治6年に開設された大阪でもっとも古い公園です。
春は満開のサクラのもとで行われる桜祭り、夏は隣接する住吉大社の住吉祭り(夏越大祓神事)、もちろんお正月には初詣と、1年中にぎわいをみせています。
公園中央部を通る潮掛道はかつて住吉大社の参道であったところです。
住吉公園は、現在は市民公園で、花壇や池、遊戯施設、テニスコートや軟式野球場などが併設されています。

潮掛道

かつて、住吉大社へ参拝する船人や渡航者たちの参道であった潮掛道。
両サイドに花や木が植えられた石畳の並木道は昔の風情たっぷりです。

心字池

文字どおり「心」の字をかたどった池です。
真上から見ると心の字に似てます。
人工の池ですが、サギなどの鳥たちが羽を休めに来ます。
静かな水面は季節ごとにいろんな風景を写しだしているようです。
公園事務所横からは川の流れのように心字池に水が流れ、川の流れは周りの花や樹木の風景にリズムをつけています。
水際から底にかけてなだらかな傾斜をつけ、川底には玉石を敷き詰めて親水性を高めています。

高灯篭

国道26号に面した所に立つ高灯篭は、住吉大社の灯篭で、鎌倉時代創建の日本最古の灯台と言われています。
現在の高灯篭は1974年に場所を移して復元されたものであり、元は200メートルほど西方にありました。

今は完全に内陸の市街地ですが、かつては、住吉公園の少し西側を走る阪神高速15号堺線あたりまで海が迫っていました。
この海に面した住吉大社の社前の風景が、日本の美しい風景の典型とされる白砂青松の原景である「住吉模様」の地。